台湾田舎生活!!!

台湾の「ど田舎」に住んでます。ご近所さんは義理家族とニワトリ。台湾での海外生活&情報、また毎日の出来事について綴っています☆

台湾で起こった日本統治時代初期の黒歴史

 

 こんにちは。あやみんです☆

 

以前、義理家族のお墓参りに行った時の記事を書きました。コチラ↓

 

www.ayamint.com

  その記事に、「ある事情があり…私は絶対このお墓には入らないと決めています。」と書きました。

 

今回は、「その事情が何だったのか」について書きたいと思います。

 

紅白花事件

1902年5月25日、雲林県である事件が起こりました。それが『紅白花事件』であり、歸順會場事變とも呼ばれています。

 

時代は、日本統治時代初期。日本人と台湾人の間で対立が絶えなかった時代です。

 

抗日組織をなくす為、日台和解という口実で、当時の台湾総督(兒玉源太郎)を中心に抗日組織との宴会雲林県のあちこちで開かれました。

 

※日本統治下の為、台湾総統も日本人。

 

※なぜ『紅白花事件』と呼ばれているかと言うと、日本人には赤い花のコサージュが、台湾人には白い花のコサージュが付けられていたからです。これが、後に目印として使われる事になります。

 

当時の義理父の祖父は村長でした。その為、その宴会の準備に彼も携わり、出席者を招待する係だったこともあり、彼の貧しい親友もついでに招いてしまいました(関係ないのに呼んじゃう台湾あるある)。

 

宴会が始まり皆で飲み食いし、最後に記念撮影をする為に皆で並んでいた時、待ち構えていた日本兵にターゲット全員(途中で帰った1人を除いて)がマシンガンで射殺されました。

 

ウィキペディアによると、殺された数265人。あの友人の方も、その数に数えられているのかどうかは不明。しかし、彼も亡くなりました。

 

全く関係のない友人を巻き込んで死なせてしまった悲しみは実に大きく、村長自身もあんな事が起こるとは知らされてもおらず、予想もしていなかった為、ショックで寝込み、悲しみのあまり死んでしまいました…。

 

その人と同じお墓に入るなんて、恐ろしくて出来ません…。

 

私の義理父は、「殺された人たちは悪い人たちだった。」と私に気を使って言ってくれましたが…

 

彼らは自分たちの居場所を守ろうとした愛国者(日本では国とは認められていませんが)ですよね。

 

しかし、日本から見れば、殺された者は反逆者にしか過ぎず…。

 

見る立場によって、歴史の見方も変わってきます。

 

その後も抗日闘争は1915年頃まで続き、その後、日本人と華人との争いは減っていきました。

※日本人と台湾原住民との闘争は、その後も続きます。

 

まとめ

 台湾人は親日で、私たち日本人にとても良くしてくれます。ありがたいことです。

 

実際、日本統治時代初期が終わると、台湾人も日本人として生きるようになり、それに誇りを持っていた人も多かったようです。私の義理の大おばさんも、そのような人でした。

 

しかし、今回書いた内容より、恐ろしい事件も起きています。

 

 

日本の教科書には、載っていない事実…。

 

母に話してみたところ、激怒されました。

 

日本人がそんな事するわけがない!と…。

 

信じたくない気持ちも分かります。

 

でも、実際聞いた話ですし、良い悪いに関係なく真実を知ることは大切だと思うんです。

 

感情的になるより、それを受け止めた上で台湾人と接する方がお互い良い関係を築けると思います。

 

ただ、台湾人もそのような過去はあまり話したがらない為、自分の心にしまっておく程度で良いような気もします。